意識とスピリチュアリティ(霊性・精神性)#
人間のつくり#
意識について#
まず言葉の意味をハッキリさせておきます。
意識とは、五感による知覚や、思考に先立つものであり、すべてを見ている「観察者」そのものです。意識なくして、生はあり得ません。医学的には「意識がない」と言えば、気絶していることを意味しますが、ここで言っているのはもっと広い意味です。
夢見の状態でも、無意識な睡眠状態(=気絶状態)でも、意識そのものは失われません。ただ死を迎えたときにのみ、意識は「その身体」との結びつきをやめます。
しかしながら、意識そのものは変わらず存在し続けます。これが本来の「永遠の命」ということです。なぜなら、意識は、時間も空間も関係ない(超えている)ものだからです。
魂の概念について#
「魂」とは、肉体がなくなっても存在する、その人(もはや「人」ではないのですが)を指します。意識はさらにその背後にあるものです。「死後に残る自分」とされているものにあたります。
Body - Mind - Spirit#
つまり、人間は「肉体、精神、意識」の三段階構成になっている、ということ。
ユングの集合無意識との関連#
心理学者カール・ユングが提唱した、集合意識(集合的無意識)というものがありますが、これは真実です。人間の心はみな、奥深くで繋がっていて、共有している部分があるという話。
実のところ、私たちが「自分」とか「自分のもの」と思っている心は、ほんの一部に過ぎません。ほとんどの部分は、理解不能で、把握すらされていない状態です。ゆえに、いつ、誰が、どんな言動をとるか、それは予測不可能なこと。誰もが天才性を発揮することもあれば、突然、重度の精神病になる可能性もあります。
そんなバカなと思うかも知れませんが、「外の世界」でもふつうに見られることです。一等の宝くじに当たったり、不意の交通事故で亡くなったり。そういう、頭では理解も予測もできないことが、心についても起こりうるというだけの事です。
意識の本質#
梵我一如#
個の本質(アートマン)と、全体の本質(ブラフマン)は、同一である。
これは、私たちが主観的に知っている「個の意識」と、【絶対者】【至高にして唯一の実在】【神】などと呼ばれる「全体意識」は、同じ性質を持っているということです。この意味において、私たちはみな「神の子」です。誰もが心の奥底に神の「種」を植えられているようなものです。
至高、全能、遍在#
全体意識である【神】God は、ただひとつの実在であり、ほかのものはすべて見かけの姿に過ぎません。
神は生命にして生命の源#
愛=真実=生命=神#
愛と真実は同一のものです。
無限の愛にして、無限の真実であり、
「創造物」について#
人間をふくむ、あらゆるものは神から発し、存在しています。それらは伝統的に、創造主と創造物という言い方をされてきました。しかし、すべてが神のエッセンスを持っているとはいえ、およそ愛とは思えぬものまでもが、世界にはあります。
この疑問は、「意識のマップ」を知ることで理解できます。結論だけいうと、生命エネルギーの受け入れ度合いによって、”よしあし” が異なります。たとえるなら、雲が厚いほど太陽の光が雲でさえぎられ、明るさが減るように。受け入れ度合いが多いほどエネルギーが強い、つまり、愛が強いということです。
自我(エゴ)の克服、真我の悟り#
エゴとは#
エゴとは、人間として生まれたゆえに受け継いでいる、動物的生存機能です。食料を見つけ、取って食べるという本能です。脳機能としては、俗に「は虫類脳」と呼ばれる大脳辺縁系が、その機能を果たしています。
エゴは、もともと自分という意味のギリシャ語由来の言葉です。が、既に日本語にもなっているように、エゴは自己中心的な性質そのものです。好む好まないにかかわらず、人間はエゴの影響を受けています。
しかしながら、エゴ=自分ではありません。意識レベル 200 以上の場合、「自意識」があるため、人はこのことを理解します。自分の中の「やっかいなヤツ」という具合に。
マインドの限界#
人間のマインド(心、精神)は、
- 真偽を見分けられない
- ものごとをありのままに見ることができない という限界があります。
すべては移り変わる#
仏教用語では「諸行無常」といいますが、この世を含むすべての世界(宇宙)において、ただひとつ変わらないことは「すべては変わる」ということです。これは、生命がその形を変えることを意味します。ただし、生命(生命力)そのものは消え去ることはありません。ものを個別に分けたがる人間には、そう見えるだけのことです。
人間は、限られたものの見方しかできません。ゆえに、移り変わるはずの世界に、変わらぬものを求めます。変わるのを嫌がって、変わらないでくれと執着します。
一切皆苦#
しかし、すべては変わるというのが真実なので、苦しみは避けられません。仏教の「一切皆苦」とはこういう意味です。移り変わるものに幸せの根拠を置く限り、遅かれ早かれ、必ず苦しみが訪れます。地位、名誉、若さ、健康、そして肉体の命さえも、消え去るさだめです。
悟り#
そういうものだと完全に受け入れない限り、絶対に苦しむことが確定しています。この「限界」を超えるのが、悟り、霊的覚醒などと呼ばれるものです。いわば「人間卒業」です。
幸せの源、ようするに愛は、外ではなく内側にあることに気づき、それを追究する。この生き方が、霊的な生き方というものです。魂の進化はこれを通してなされます。決して、オカルト的な超パワーや、人工の手段では、達成できません。よくて一時体験するだけです。
幸いなことに、ブッダをはじめとして、その域まで至った人々は存在します。彼らの教えは今に至るまで伝えられています。なお、彼らのエネルギーは、彼らがこの世を去ったあとも人類の集合意識のなかに残っています。
「救済」について#
救済 - salvation - というのは、特定のひとつのレベルの真実ではない、広い概念です。概ねどの伝統宗教においても、救いの概念はあります。ざっくり言うと、死後に「天国」へ迎えられるというものです。
天国とは、意識レベル 500 以上の領域を指します。人間界はあまりにもネガティブエネルギーが強いため、足を引っ張るものにあふれています。そこで、まずは悟りではなく無条件の愛( 540 )を目標として、天国へ行った上で、さらに先へと進化するという段階を踏みます。
宗教・宗派によっては、そこまで詳しく説明されていない場合がありますが、道筋としては同じです。
なにはともあれ、永遠にこの人間界でさまようのではない、不滅の実在へ至る道が用意されているということ自体が、救いと言えます。それを求める気になった人は、とても幸運です。それ自体が「神の恩寵」です。
種々の疑問やトピックについて、ごく一部#
人生は何のためにあるのか?#
ネガティブカルマを解消し、ポジティブカルマを得るため。
私たちの(物質)世界は、いったい何なのか?#
結論から#
魂の進化のための場所です。魂が自己を磨く、煉獄(れんごく)として描かれてきたものは、まさに私たちのいる世界です。
物質世界の空虚性#
人間は、五感+思考(インドで言う第六感)の世界に生きています。この世界は見かけ上、人間にとって存在しているものです。ほかの動物にとっては違って見えるというのはよく知られた事実です。人間の目、耳などとは、違う周波数のものを感じるからです。
しかし、そもそも物質自体に実体がありません。スッカスカの空間に、なんらかのエネルギーが働いているだけだと、現代物理学では説明しています(量子力学、素粒子物理学など)。
神である全体意識は理論化不能#
が、霊的真実、全体意識の話は、さらにその奥にあるものです。それは、あらゆる説明を超えています。
物質世界、精神世界、そのどちらでもない背後の実在が、意識(神)ということです。
死後はどうなるのか?#
そもそも、私たちは死を経験することはできません。魂が肉体を離れ、別の世界へゆくだけです。死後の世界には様々な領域がありますが、どこに属することになるかは、それぞれの魂のカルマによります。その際、どのような人生を送ったか「申し開き」をする機会が与えられます。いわゆる死後の裁きです。
なお、悟りのレベルに到達するまでは、魂は(自由意志により)また人間として生まれ、「徳を積む」ことが可能です。なお、一度人間として生まれた魂は、動物などの”劣等種”に転生することはありません。