電車の中や映画館、 ちょっとしたセミナーに参加したりした時に、 隣や前後に座った人が、周りに気を使う事なく、 ぶつかっても謝らず、自分の行為が周りに どんな影響を与えているかなど考えもしないような、 とても傲慢な態度で、まるで自宅に居るような 振る舞いをしている場面に出会う事があります。

そんな時には、とても怒りの感情が湧き上がります。

そんな人に会わずに済む方法はありませんか?

さて、

日本人の感覚で言うと、 それは当然と言える。

会わずに済む方法、を、さがすよりは、

会ったとしても 自分が影響を受けない方法、を、

探す方が良い。

日本、 特に都会は、人口密度が高いからね^^;

この方法は、

「すべての人は、常にベストを尽くしている」

という、 真実を認めることだ。

その人がいったい どういう状態でそのような態度なのか、

他人には知るよしもない。

もしかしたら、

いろいろ一杯一杯なのかもしれないし、 そもそもの性格なのかもしれない。

わからないのだ。

自分の印象でしかない。

その人が日本の社会人として やっていきたいと思っている「前提」でなら、

やんわり、 関係性によってはびしっと注意するのは、 適切だろう。

だが、赤の他人だったら、 それすりゃわからない。

少なくとも、 彼は自らチャンスを失っている。

ほっとけばいい。

大事なのは、 あなた自身の心だ。

あなたは、

心の中でその人を裁いている。

自分の裁きが正当かどうか 分かりもしないのに。

そして、

怒りを感じている時点で、 まったく正当性はない。

怒り、つまり、 意識レベル200未満からくる 思考であるため、真実になり得ない。

こういうことは

人間はよくやりがちだが、

これはクセみたいなものだ。

クセに気づけば、

修正できる。

ので、

まず 気づいているという幸運に感謝できる。

気づけないことは どうしようもないし、 自力では気づけないからだ。 (潜在意識下にあるため)

あなた自身がおおらかな心を持っていれば、

つまり、 波動が高ければ、

同じことが起きても いちいち怒りを感じずに済む。

あと、

身体や精神が 疲れているときは

どうしても ストレス(外的刺激)に敏感になりがちだから、 仕方ない、と、自分をゆるそう。

父親を殴った兄を赦せないのです。 どうしたらよいでしょうか?

という質問も受けたが、 上と同じことだ。

自分の認識からくる「裁き」について イエスはこう語っている。

ルカによる福音書 6章41-42 より

あなたは、 兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、 なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、 『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、 どうして言えるだろうか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。 そうすれば、はっきり見えるようになって、 兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」

すべて、

怒り、悲しみ、など ネガティブな思いは、

実は自分の中にあると、

気づこう。

それを感じきることが 解決策だ。