江上さんへ、私は最近まで、父の意識レベルが低いと思っていました。 何故なら、父は何かに否定的だという側面を見てきたからです。 しかし、裁くな、さもなくば自らも裁かれる事になる、というキリスト様の教えから、人の意識レベルを勝手に順位付けする事に疲れ、止めました。 父が否定的だからと言って、父の意識レベルが低いとは限らないと思ったからです。 そこで質問ですが、こういう、裁く事を止める、という事はどの意識レベルから起きるのでしょうか? それとも自分次第ですか?
メッセージありがとうございます。
とても素晴らしいことに 気づきましたね!
このひと言では表せないほど 素晴らしいです。
>父が否定的だからと言って、父の意識レベルが低いとは限らないと思ったからです。
そうなんです。
宗教でもスピリチュアルでも 心理学系でもありがちですが、
「私の方があの人より霊的だ(スピリチュアルだ)」
という考えが起こることは よくあることです。
学校のテストなら 明確な基準で点数がでるので、
「自分のほうがアイツより英語できる!」
というのは事実なんですが、
霊性が高いかどうか、 人格的かどうか、
こういうことに関しては
どうあがいても 分かりゃしないんです。
意識レベルの高低も、
何度も言ってますが これは違いを表しているだけであって、 優劣の話しじゃないです。
なのに、
人は、というか、エゴは、 他者より自分のほうが優れていると 思いたいものです。
それは いともたやすく行われれます。
しょっちゅう、 毎日、人は、
ほとんど無意識のうちに 人を裁き、断罪します。
そうすることで 自分を保つためです。
言ってしまうと、
そうでもしなければ保てないほど 自分を愛していないから、 そうなると言えます。
でもそれは、
「えげつない行為」
であって、
一番「被害」を食らうのは 実は自分自身です。
>そこで質問ですが、こういう、 裁く事を止める、という事はどの意識レベルから起きるのでしょうか?
裁くのをやめるということは、
言い換えれば ありのままの状態を受け入れる、
つまり、
受容(意識レベル350)以上で起こります。
ゆるし(Forgiveness)の意識レベルは 受容と同じです。
※添付した「意識のマップ」の感情の欄を あとでみてください。
一方、
理解の感情が起こるのは 意識レベル400なので、
350の受容では 相手の考えやら真の意図やらを 理解することはできませんが、
理解せずともゆるすことは可能です。
「よくわかんないけど、 あの人はああいう感じで、 それはそれでOKじゃん」
という感覚ですね。
家族といえども ぶっちゃけ他人ですから、
分かりゃしないんです。
分からなくても 受け入れる:認めることはできます。
これは、
いま読んでいるあなたも 人生振り返ってみれば そういうことが1度はあったと思います。
せっかくなので、 関連した言葉を引用します。
In reality, it is the forgiver and not the forgiven who benefits most. 実に、ゆるされる者よりも、ゆるす者が最も益を受けるのである。
p.102, Along the Path to ENLIGHTENMENT デヴィッド・ホーキンズ博士 人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
新共同訳聖書 マタイによる福音書/ 07章 1-5節
ゆるし、というのは、
人間にとって ほとんど永遠の課題に近いですが、
自他ともにゆるすことを 心がけて生きるのは、
とても意義あることであり、
心軽やかでいるために いつでも今すぐできる秘訣です。
ありがとう。