正月と言えば墓参りなので、頂いていたメッセージから。 ↓
江上さん、こんにちは(^∇^)
先祖供養についてですが、江上さんは「先祖供養は必須ではない」と解説して下さっていることは、感覚としては解ります。
============== たしかに、
先祖供養は ある程度の益をもたらします。
しかし、
それはしょせん 通過点に過ぎないということです。
これは バガヴァッド・ギーターを 読んでもらえば分かります。
「祖霊を礼拝する者は 祖霊の世界へ至り、
神々に礼拝する者は 神々の世界に至り、
私を礼拝する者は 私に至る」
と、書いてあります。 ===============
法華経の意識レベルに触れるために経文を唱えていましたが、先祖供養のために唱えていると、亡くなった父や祖父母、犬(ペット)の顔を思い出して、少しネガティブな感情にのまれそうになるときがあります。
家族との団欒のときに、アルバムを眺めて思い出話で笑うくらいの方がいいんじゃないかな?と思っています。
そういう時間が、家族一人一人ポジティブなエネルギーになるし、感謝の気持ちも湧いてくるので。 (私の家庭環境によるものですが)
先祖供養のあとに、「世界の平和と一切衆生の幸福のために」と祈念することが書かれてありますが、私は、モラハラ被害に遭ってから、それを祈ることの意味に疑念を抱くようになりました。
モラハラカウンセラーのJoeさんも「モラハラは無くならない」と言っています。
モラルハラスメントは、マインドコントロールを伴う支配のことですが、「人間は人間だけでなく、動物や蚊に対してもモラハラする生き物だからだ」 と。
母なんて、蚊をかなり殺生してます。 私は、蚊潰すのにいちいち罪悪感感じたりする面倒くさいタイプですが。
モラハラ加害者や羊の皮を被ったオオカミがごまんといる世の中で、未だに国家間の争いなどが起きるのに、世界が「平和」になるなど、理想論でしかないと思うのです。
幼い頃に良心を棄てた自己愛性人格障害者は、羊の皮を被ったオオカミのように、本当の自分を悟られないように仮面を被って生きています。
私は、元交際相手と2回目に会ったとき、「嘘臭い」と感じたものの、依存体質であり博愛主義的な私は、彼をまっとうな人間に叩き直そうなどと考えていました。
相手は混乱させるような正論を突きつけてくるので、対処を知らないために不当な争いでしかありませんでした。
「愛を示せば解ってくれるだろう」という甘い考えなどは、一切通用しない相手なのにも関わらず。
牧師を目指していたクリスチャンの方も「戦争は無くならない」と、諦めにも聴こえるようなことを呟いてましたが、その意味が10年近く経った今ようやく理解できました。
彼らが「仏教は宗教ではない」と言っていたことの意味も、江上さんのおかげで謎が解けました。
============== そもそも 仏教なんて宗教はありませんからね。
仏教のコアは、 ヨガのコアとまったく同じく 瞑想などのトレーニング法であって、
教、とか教徒と呼ぶのは 学問上、政治上の分類でしかないです。 ==============
確かに、一人で経文を唱えるとき、ヨガや瞑想に似た精神統一のような感覚があります。
信仰していたときは、仏壇の前で祈ってましたが、「仏壇が邪魔」だと、祈ることだけに集中するようになったこともありました。
これ法華経の信者や親戚に言ったら怒られる話ですけど。
弟は口が立つのでよく言ってました(^_^;)
「宗教やってる奴ら気持ち悪い」 「平和平和言うとるけど、結局は権力と金やろ」
でも、家族や親戚が信仰していたおかげで、仏法を学べたので感謝しています。
小学生の頃は、近所の友達がクリスチャンだったので、祈り方を教えてもらっていました。 私は良い環境にあったんだと思います。
母には駄目だと叱られてましたが、私は幼いながらにも、どちらの教えも好きでした。
従姉も熱心な信者だったので、その影響もあるかもしれませんが、祈ることが楽しくて好きだったんです。
色々と周り道をしてきましたが、今日も江上さんに出会えてよかったと、今朝、神様にたくさん気持ちをお話して祈りました。
バガヴァッド・ギーター、先ほど注文しました。 年末年始の楽しみがまた一つ増えます。
江上さん、ありがとうございます。
ありがとうございます。
悟りに至るため、という視点では、 先祖供養は「必須」ではありません。
なぜなら、
イエスやブッダの教えのどこを見ても それが必須事項だとは書かれていないからです。
霊的覚醒の道は 誰にでも開かれていますが、
もし先祖供養が必須事項ならば、
親もわからず生まれた人は 無理だということになってしまいます。
ただ、
先祖供養には益はあります。
特に、
なくなった祖父母など、 生前に会っていた人達に関しては。
これは、一般の心理学者も わかっていることですが、
人間関係に関する わだかまりを手放す機会となるためです。
生前はケンカになったりして、 やりにくくても、 死んだら返答はないのでやりやすいでしょう。
これは、 霊的成長にとって益となります。
結果として現世利益はついてくるでしょう。
足を引っ張るものが 減るわけですから。
また、
日本を含め 世界各地のいろんな文化で 先祖供養がされているのは、
「家の発展」という考えもあります。
たいていの先祖は 自分の子孫にしか興味ないですから、
思いを向ければ えこひいきするのは当然です。
もっというと、
神、仏性、自然をつくった偉大な知性、などの、 一神教的概念がない文化では、
これくらいしかやることがないのです。
一応、 神道にもそういうのはあるんですが、 まったく人気がないです。
天照大神どまりですしね。
ヒンズー教も 全体としては似たような状態です。
日本の場合、
ほとんどの仏教徒(檀家を含めた平信徒)は 仏教の真髄を学びませんから、
現世利益のために、
祖霊(先祖の霊)か、 神々(弁天様、帝釈天など)を 崇めるにとどまります。
現世利益はよくないという話しではなく、
悟り、霊的覚醒までは みじんも考えていない or 知らない、 ということですね。
愛は、
前も書きましたが、
最強の防御です。
他者の怒りや悲しみに巻き込まれるのを 防げます。
影響を受けないで済む、 ということです。
意識レベル200以上の 「パワー」だからですね。
愛は形のあるものではないので、
ほとんどの人が 特に若いほど誤解します。
そばにいないなら愛じゃないとか、 プレゼントくれないから愛じゃないとか、
そんなことは 人間の勝手な思い込みです。
愛は無限ですから、 その表現の形も無限です。
まずこれを理解せねば、
子供じみた ただの共依存から抜けられません。
たとえ子供から物理的に離れたとしても その母親は、 自分の子を愛していないのでしょうか?
そんなことは、 本人にしかわかりません。
子供の方は、 捨てられたとか思うかもしれませんが、
そもそも 痛い思いして産んでくれたこと自体は どうなのでしょうか?
海外出張で何年も家をあける父親は 子供を愛していないのでしょうか?
日本や、アメリカとかなら 会社の命令だからしかたない、 送金していればOK、
と、思うかもしれませんが、
インドとか 家族一族の結びつきが強い文化では たぶん認められないでしょう。
逆に、
もっと個人の自由を尊重する地域であれば 別に送金すらしていなくても、
そんなのはその人の勝手
で、済んでしまう話です。
実際、愛しているかどうかは 本人にしかわかりません。
このように、
本人にしか 分かりようのないことを
勝手に判断するのが、
「裁く」ということです。
本人でさえ よく分からないこともあるのに。
究極には 神にしか分かりません。
だから、
「裁きは私のもの」と主は言われた。
と、聖書にはあるのです。
すべては、
ブッダが「縁起」と呼んだ 全体の調和によって起こっています。
なにも不完全なものなどありません。
なにも無駄なことなどありません。
これは 人間の頭では把握不可能ですが、
少しでも知っておけば、
安らぎになります。
ではまた。